藻 俵

村上藩でも、三条八幡宮、村上御宮、羽黒山、岩船明神などで、疫神祭を行い、お札を村方に配布した。文久二年、藻俵という物があらわれ評判となった。野や田の雪の消えかかったところで、俵の形をした藻を拾ったというので、村の者に見せたら、古老のいうには昔もこのようなものがあり、藻俵といい、その年は五穀豊穣だったので、豊年俵ともいったということであった。同じ者は近郷でもみられ、大小不同はあっても、かっこうはみな同じで、大きい物にはさんばいしの形まであったという。諸国各村々でも見つかり、すでに前年の末から天野新田江筋の田にみられ、一見したところ、人の手になった物の様子は見られず、奇怪な物で藻俵ととなえて、売り歩く者があった。始めは一つ二朱であったが、各地で数百数千と出て来て、大は一〇〇文、小は五から六〇文ばかりになった。天野村はとりわけ多くみられ、割ってみると中にはもみ、ひえ、あわ、むぎなどの五穀が有ったと言う。実はウシコウゲという草で虫の巣のように編んだ物が、小さい俵の形になったのであった。天地の気に感じて出来た物であろうと言われた。

藻 俵