実地検分

道金前の分水口から信濃川までは古信濃川であって、通し川から下分水を中之口川という。現在、道金前の分水口は数百間の川幅なのに、川下へ行くとわずか三、四〇間にも満たなくなる。それなのに中之口川へ一方的に水が落ち込むから、平水の時であっても、川下は水勢が激しく、川床がほりこまれるのである。これではいくら川普請をしても、堤防がきれるのは当然である。そこで、道金の中之口側分水口の川幅をせばめ、信濃川の方へ相応の通水があるようにしてほしい。この計画は新発田領側から話がもちあがり、経費の負担も話しがついたうえでの願いであったが、実現には至らなかった。その後毎年のように水害が続いた事から、ついに慶応元年、長岡藩と新発田藩は両藩主の名前で、中之口川の水口をせばめる工事を幕府で実施すること、そのために実地検分をするよう願い出た。近年川床が変わり、浅瀬になった。信濃川の分流中之口川の方へ水勢が向かうようになった。中之口川は信濃川の分流で、川幅三、四〇間の所、川口がかけ、呑水がひろくなり、現在はおよそ二〇〇間ほどの川幅である。流末は以前の川幅のままなので、流水のはけが悪く年々堤防が決壊する場所があり、村は水難から逃れようがない、近年は一か年のうちに何度も決壊し、数十か村が冠水し湖同様である。そこで八王寺村辺に水刎杭をうちだし、流水をはかりたい。この工事は幕府の仕事でなければ成功がおぼつかない。と見解をのべている。

実地検分