村上藩領の五か組は分水計画に反対であると、役所に申し出ている。その理由は、分水工事が行われると、本流や中之口の水量が減じるおそれがあり、用水確保に不安があるという点であった。その一方でこれとは別に、万延元年、燕、茨曽根、味方組の村々四四か村を代表して、大庄屋三人と庄屋六人が、中之口川の防水工事を実施するよう、役所に願いでている。工事実施を希望する理由は、川筋がかわり、川底が浅くなって用水の引込みに支障があること。年々の両岸普請の負担が多くなったこと。昨今、幕末の吉江、吉田新田と、池之端領大野、金巻の四か村で急難場ができたこと。村上領味方村ほか二か村でも急難場ができたこと。新発田領松橋、十五間で三度も破堤したこと。などである。そもそも、古信濃川筋の内、小浜領の新飯田村と新発田領の鵜森村の間を流れる、東西一里ほどの字通し川というところがある。これが文政治一一の大地震で揺り潰れて、通水しなくなり、通し川を通って信濃川本流へ流れていた分の水が、すべて中之口へ一方的に落ち込むようになった。水害が激しくなったのはそのためである。