慶応二年、連年の洪水を理由に、役所に拝借米を願い出た。願書によると両村では、連年の水害のために小前は急迫し、藩に嘆願して老若多病の者へ手当米、難渋者へ夫食米が支給された。他国他所稼ぎに出かけた者は、耕作のためおおかた帰村したものの、当日のしのぎ方もなく、ひたすら余業のみに頼っていた。耕作の時期になって、再度、夫食米の支給を願い出て下げ渡された。そもそも村は場末にあるために、三ヶ月余りも冠水して、田畑にはヒエやソバまでも一切できず、アシ、荻草までもとりつくし、さしあたって食物、たきものの草にもさしつかえた。おもだち百姓も二年前からの郡役、万雄その他の入り用が続き、所持する田畑を担保に米金を借用してきたが、うちつづく水難のためにそれも差しつかえた。そこで、このままでは村から離散するほかないとして、慶応二年米八五〇俵を拝借したいと願い出たのである。災害による生活困窮のようすがうかがえる。