藩は米価の高騰に対し、新米、古米はもとより大豆、雑穀などの他領へのうりだしをさしとめた。新発田町、沼垂町の庶民へ安値米を販売した。九月、新発田領白根町では、米価の高騰や新飯田村の堤防による水害のため生活が苦しく、藩へ一二月中までの一〇四日間、難渋者五八三人へ一日一人三合の米代金のうち、二割分の補助を、また非常に困窮し米を購入できない者一五八人へは、一日一人一合五勺の粥の手当を願い出た。二割安値米にいては、願どおり許可され、粥の手当ては一〇月一四日まで三〇日分の支給が許可された。同月村上領黒鳥村では、夏中の雨続きで田が堪水し収穫が皆無となったので、来年の植え付け用種籾の拝借を願い出た。一〇月新発田藩では、米穀食料の困窮に対して、大根、さつまいもをはじめ食糧となるものを、他領へ出す事を禁じた。また、町場の者へふだんは口にしない雑飯を、食べるように通知した。一一月には米穀もだんだんと高値になり、隣領にも物騒な動きがあるとして、新発田藩は沼垂の藩の蔵へ取り締まりのため、勘定奉行一人、足軽一〇人を増員した。中之島組今町でも不穏な状態なので、郡奉行一人、足軽一〇人を出張させた。一一月になり飢手当願人は増加していた。城下で粥の炊き出しを行ったが、老人、幼児はとくに困窮しているため、各地へ足軽目付けを出張させ手当てを行った。