飢 饉

天保六年は春から雨がふりつづき、新発田領蒲原郡で二万八七七五石余の損害をこうむった。新発田藩は赤渋組三五か村の困窮者二七二七人へ飢え手当てを支給した。黒鳥村でも夏中の雨続きで新田地域が堪水し、皆無作となったため、一〇月に翌年のうえつけ用種籾の拝借を願い出た。天保七年も春から天候不順で、五月中旬から連雨となった。六月、村上領では連雨により耕地が堪水した。堪水した田の八割では、苗の植え付けが済んでいなかった。七月一一日には新発田領でも田植えをしていない場所があるとして、各組へ状況を調査するため役人を派遣した。八月には沢海領新飯田村の中之口川で堤防が決壊した。鷲ノ木新田で水門を切り払い、堪水を排除した。新発田領、村上領からも応援をえて、新飯田村の破堤箇所の修復工事が完了したが四日後にふたたび決壊。天保四年の地震の時にならい、当分手当てを行うこととし、沼垂蔵より五〇〇俵を引き出した。その後、破堤箇所の修復工事も徐々に進み九月には完了した。

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